中野究の地獄のサラリーマン時代

 ~ 目次 ~

第0章 中野究はどのように自由な暮らしを手に入れたのか?

第1章 東京工業大学での生活~研究者の道と就職への道~

第2章 なぜ今の会社で働き続けるとまずいのか?

第3章 中野究の地獄のサラリーマン時代 ←今ここです

第4章 資本主義社会と情報発信ビジネスの世界

突然ですが、あなたにとって
最も大事なものって何でしょう?
(家族や恋人など、
人間は除いて考えて下さい。)

私が最も大事にしているものは・・・

お金。

ではなく・・・

時間です!

時間だけは何があっても
絶対に戻りませんし、人が唯一
コントロールできないのは
自分の残り寿命です。
(マイナス方向にはコントロール
 できますけどね。)

人間、誰しも80~100年という
時間しか与えられていません。

その先に待っているのは、無です。

人生の最後の方なんて、
頭もほとんど働かないでしょうから、
私たちが人間らしく生きる事が
できる時間って本当に少ないのです。

砂時計は逆さを向きません。

どんどん落ちる砂を
止める事もできません。

砂時計をいじろうとしても、
無理な話だということです。

私たちは、
「砂時計の砂が全て落ち切る前に
 何ができるのか?」
を常に考えなくてはいけません。

砂が全て落ちきる前に、
命が突然消える事だってあります。

本当に何が起こるか分かりません。
何かが起こってから自分の不幸を
嘆いても仕方ありません。

私たちは、刻々と減り続ける時間を、
大切にしなくてはいけません。

そのためにはどうすれば良いのか?

無駄な時間をなるべく減らす

これを最優先に
考えなければなりません。

しかし、多くの人は
「時間を切り売りする事」を
最優先に考えています。

一番大切なはずの時間を、
めちゃめちゃ安く提供して、
それすらも要らないと言われながらも
必死に「時間を買って下さい」と
言い続けているのです。

これがいかに恐ろしい事なのかを、
そろそろ認識しないといけません。

さて、ここから、回想シーンに
入りたいと思います。

私の新入社員時代の、
本当にあったお話です。

当時、私は大手の広告代理店に
就職をしました。

これには理由がありまして、
大学院時代に専攻していた経済学や
行動心理学が役に立つと考えたのと、
大手だから安泰だと思ったからです。

また、大学院の先輩から
広告代理店で働いている話を
聞いたことも大きかったです。

先輩「有名人と友達になれるし、
広告代理店で働いている、
って言ったら女の子にも
モテモテだよ。会社のお金で
接待と称して夜は遊びにいけるし、
経費としてタダで
旅行に行ったりもできるよ!」

え、何それ?そんなのありなの?
と思ってしまって
欲望にかられたわけです。

高校、大学、大学院と疑問を持たずに
エスカレーターのように進み、
受験、勉強とまっしぐらで
世間知らずだった私は、
社会の厳しさも知らず、そんな先輩の
話を間に受けてしまいました。

(ひと昔前の広告代理店は
そうだったのかもしれませんが、
今から思うと、先輩は半分冗談感覚で
言ったのだと思います。。)

また、高校は男子校。大学も
理系専門大学ということもあり、
女の子の絶対数が少なく、
接する機会もなかなかなく、
機会があっても何を
話していいかわからなくなっていて、
当時、女性とまったく
コミュニケーションができなかった
私にとっては、女の子にもてる、
というフレーズは夢のような話でした。

もしあの時、

「女の子と簡単につき合う
 恋愛マニュアル」のようなものが、

2万円とかで売られていたら、
すぐに買っていたと思います(苦笑)。

そういったこともあって、
先輩の話を聞いて、絶対自分も
広告代理店で働こうと考えたのです。

いよいよはじまる
夢のような社会人生活。

そう思って期待をふくらませ、

待っていたのは・・・

●事例1:広告代理店の仕事終わりの日常・・・

広告代理店は激務だとは
聞いていたのですが、想像以上でした。
深夜残業は毎日で午前様も当たり前の
日常が待っていました。

そんなある日のこと、
ある先輩社員に

「きわむ(私の名前です)。
今夜1時に時間を空けといて」

と、一瞬わけの分からない事を
言われました(苦笑)。

たしか記憶では、深夜の23時頃に
言われたと思います。

これまで毎日、新しい仕事を
覚えていくのが精一杯の日々で、
寝不足続きなこともあり、
この日も仕事が終わり次第、
すぐに帰りたかったので、
私はこのように切り出しました。

私「すみません。もうすぐ仕事が終わるので、帰ろうと思っていたのですが・・・」

先輩社員A「お前はいつも先に帰るよな。うちは広告代理店なんだから、そろそろ夜も付き合えよ!」

私「あの、私、次の日も朝1で会議があるのですが・・・」

先輩社員A「は?そんなの、お前だけじゃないだろ?」

私「まあ、それはそうなのですが・・・」

先輩社員A「あのなぁ、ここでは1日3時間睡眠で頑張るのが当たり前なのはわかるか?新人のお前が先輩の飲みを断るなんて100年早い!」

私「はあ。分かりました・・・」

こうして、次の日に朝1の
会議があるにも関わらず、
深夜に強引に飲みに
連れていかれました・・・

そして、それからも、
たびたび深夜、午前様に
行きたくもない飲み会に
行くハメになりました・・・

なお、当時こういう遊びに会社で
経費を切るのは
難しくなっていました。

これは、会社側からしたら
当然のことです。社員の無駄使いに
経費を使えないのは至極当然です。

当然なのですが、当時、私はさきほど
書いた大学院時代の先輩の
言葉を覚えていたので、なんとも
やりきれない気分でした。

また、当時の私は、先輩社員の飲みを
断ることがほとんど
できませんでした。どう断っていいか
がわからなかったからです。
私だけではありません。
広告代理店ではこのように若い社員が
先輩社員の付き合いに断り切れずに
参加してしまうケースが
多々あったのです。
(今でもおそらくそうなのでしょう)

もちろん、こういった飲み会が
面白ければまだ
良かったんですけどね。

なかには、楽しい会も
あったのですが、ほとんどの飲み会で
出てくる会話は、会社のグチや
上司のグチや、他の社員の
ネタみやっかみばかり。

聞いているこちらまで
滅入ってきてしまいます・・・

しかもお酒がからむので、
たちが悪い・・・ 

と、この文章自体が
グチみたいになるので、
ここらでやめますが(苦笑)。

飲み会が面白しろければ、
疲れていてもまだ良かったのです。
しかし、つまらない行きたくもない
飲み会に連れていかれて、
拒否権もなく、しかも飲み会は
いつも割り勘でした。

飲み会が終わった後、
電車はもちろん走っていません。
タクシーで自宅まで帰ると
深夜料金を取られて1万円くらい
かかってしまい、バカらしいので、
飲み会が終わったら、また会社に
30分くらい歩いて戻って、
自分の席で寝て、
を繰り返していましたね。

そんな生活では
疲れは取れませんし寝不足になるし、
翌日の仕事の効率も下がってと
ほんとにやりきれない日々でした。

●事例2:理不尽な出来事

先輩社員B「きわむ。15時に緊急会議を入れたから出席してね。」

私「え。でも、その時間は(別の先輩社員)Cさんと別件の打ち合わせの予定が入っているのですが、大丈夫ですか?」

先輩社員B「そうなのか?わかった。大丈夫。大丈夫。俺からCさんへ言っておくから。」

私「分かりました!よろしくお願いします。」

そして、15時・・・

先輩社員C「おい!きわむ。なんでBの会議に参加しようとしてるんだよ。昨日、15時から大事な会議があるから、空けとけっていったよな?(マジギレ)」

私「え?今朝、Bさんが話をしとくからって言われたので予定を変更したのですが・・・」

先輩社員C「はぁ?俺はBからそんなこと聞いてないぞ。おい、B!どうなってるんだ?」

先輩社員B「すみません。教育が行き届いていませんで。私から今朝、きわむにCさんに話をしとけって言っておいたんですけどね。きわむ、報告は忘れるなっていっただろ(演技ギレ)!?」

私(はぁ、何いってんだ?と思いつつも、この場をおさめるために、
  こう言うしかありませんでした。)
 「はい。そうでした。Cさん。Bさん。申し訳ございませんでした。」

●事例3:断れない上司からの命令

部長「今年のクリスマスも、深夜まで働いてもらうことになったからよろしく。」

私「えっ?!でも、クリスマスくらいは、きわむもプライベートを楽しめって仰ってたじゃないですか。楽しみにして、(ようやくできた)彼女との予定も入れてるんですけど・・・ お話しましたよね?」

部長「いや、それはわかってるんだけど、実は(先輩社員の)D君から、新しく作った彼女と急なデートが入ったから、どうしても代わりが欲しいって頼まれてね。今後の彼女との関係に関わる大事な日らしいから、俺はそっちの方を尊重してあげたいと思ったんだよね・・・」

私「(は?知るかよ、そんなもん!俺だって同じだよ。)」(心の声)

私「はぁ。ですが・・・」

部長「わかってる。わかってる。君も予定は入れてたんだよね?でも、俺もかみさんとの約束があってね~。この日は、どうしてもあけられないんだよな。」

私「(それも知るかよ。)」(心の声)

部長「だから悪いんだけど、彼女との予定は断って、この仕事、やってくれないか?」

私「わかりました。」(涙)

●事例4:忘れもしない新入社員1年目の富士山研修ご来光からの一日

私が入社した広告代理店は、
グループ会社も含めて新入社員を
全員、7月の夏に富士山の山頂まで
登らせる、という毎年恒例の
大きな行事がありました。

登山自体に興味は
あまりなかったのですが、富士山に
登るのは初体験ということもあり、
若干高山病にかかり、
頭が痛くなって大変だった反面、
貴重な経験だったと思っています。

特に、「山頂からのご来光」は
言葉にできないほど美しく、
今でもこの感動を
鮮明に覚えています。

と、ここまでは前置きでして、
この行事には決まりがありました。

それは、富士山下山の日に、
その足で会社まで帰還して、
直属の上司に報告する、
という決まりです。

富士山は過酷な山ですから、
社員の安全確認は
当然のことですね。

1泊2日の富士山登山。
2日目の早朝にご来光を仰ぎ、
そこから山頂から下山を果たし、
会社に着いたのは夕方16時頃
だったと記憶しています。

当時、私の教育係の副部長へ、
ヘトヘトになりながらも、
達成感も胸にして報告に行きました。

私「(副部長の)Eさん。ただ今、戻りました!」

副部長E「おお。きわむ。おかえり!無事に戻ってよかったよ。」

※私は、このEさんを尊敬していました(今でもです)。当時、まだ30そこそこの年齢で副部長に大抜擢され、仕事もものすごく優秀と社内でも評判の方でした。また、新入社員でデキの悪かった私にも、我慢強く優しく丁寧に指導をしていただいていました。

大学院のインターン時代からお世話になっていて、私にとってはこの人がいたから、この会社に入ったといっても過言ではない方です。

私「ありがとうございます!」

副部長E「ちょうどよかったよ。実は、きわむにも伝えたいことがあってね・・・」

私「はい。何でしょうか。」

副部長E「実はね・・・ 俺、この会社をやめることにしたから。」

私「(はい?)」(突然のことで、理解をするのに時間がかかりました)

私「・・・・・・  ど、どういうことでしょうか?」

副部長E「いや~。外資のマーケティング会社からヘッドハンティングされちゃってね。そっちの方が仕事、面白そうだったから・・・」

私「・・・」

副部長E「給料もかなり上がるし、ずっとやりたかった外資のマーケティングの新規事業部の責任者だからね。今から気合い入ってて楽しみなんだよね~。今まできわむの教育係だったけど、来月からそれもできなくなるから、後は頑張ってね~(軽いノリで)。」

私「・・・」

言葉を失いました・・・
この人がいたから、これまで
何とか頑張ってこれた
こともありましたし、

この時、私の中で「転職=悪」
という考えが崩壊した瞬間でした。

今でこそ、この日本でも転職するのは
当たり前になりましたが、
当時はまだ「転職=負け組」
というイメージが
残っていた時代でした。

私の中で、この会社で働く
大きな意義が失った日でもあり、
自分の夢を叶えるために、
会社から出ていく人もいるんだ、
というのを実体験した
瞬間でもありました。

失意の日々が続く中、
時は不況でした。

企業のマーケティング予算が
次々と削られ、あおりをくらって、
広告代理店は次々と
倒産していきました。

私が入社した会社も、
時の不況のあおりを食らいました。

社長が交代し、大幅な人件費カットや
早期退職制度も生まれて、
次々と人が辞めていきました。

副部長だったEさんのように
プラスの条件で辞めていく人も
いましたが、マイナスの条件で
辞めていく人の方が多かったです。

そんな中、私は2年目も迎え、
少しずつですが仕事を
覚えてきたある日、

●事例5:人に自分の可能性を否定される

つまらない深夜の
飲み会での出来事です。

先輩社員F「お前もだいぶ仕事が慣れてきたみたいだけど、お前に
大切な案件をまかすのは無理だな~。ってか、一生無理だと思うぞ。」

私「・・・(ムカつきながらも、自分の仕事に満足もできていなかったので言い返せませんでした)」

別の先輩社員G「だいたいお前、理系だろ。頭でっかちなんだよな~。俺は仕方なくお前と一緒に仕事してるんだよな。調査・分析チームに行った方が絶対いいよ、お前は。花形の営業プランナーは厳しいから、あきらめた方がいいぞ。」

こういうことを言われるのは、
ショックな出来事でした。

まあ、私も当時、覚えたてで
仕事がきっちりできていたとは
お世辞にも言えませんでしたが、

上に立つ人間は、
後輩や部下を指導する時、
こういった人の可能性を
否定するような言動は、
極力控えるべきです。

これは、私が現在、
脳力開発の講師をしているからこそ
なお言えることです。

こうして、人と関わる仕事を
全否定された私が、
今や講師として人前に立つ仕事を
していることを考えると、

人は、関わる人が違うだけで、
こうまで変われるのか、
こうまで成長できるのか、
と身にしみて感じます。

こう言われた後、思いましたね。

私「(お前らに俺の何がわかるんだよ。今に見てろ・・・ 絶対こいつらを見返してやる!)」

こういったいろいろな背景があり、
私は自分自身の今後の人生に
大きな行き詰まりを感じたわけです。

「なんとかしなければ自分の人生が
 ダメになってしまう・・・」

と思い、目覚めるのに時間は
かかりませんでした・・・

そして、私も退職する決意を
固めた訳です。

~~~ 回想終わり ~~

・・・とまぁ、今思いおこすと、
よく我慢して働いていたな~
と思うのですが、当時は

「まぁ、社会人ってこれが
当たり前なのかな。」と、
ストレスで破綻する前に、
諦めにも似た自己解決を
してしまっていました。

あくまで印象に残っているケースを
事例としてお伝えしてきましたが、
仕事の性質上、次の日に急な
プレゼンが入って、無理矢理
深夜残業をさせられた時もあったり、
仕事が終わった後に
「急に別の仕事が入ったから」と
深夜に呼び出されたりもしました。

仕事はお金だけで測るべきではない、
と思われるかもしれませんが、

新入社員のなけなしの初任給を
毎月もらうために、
プライベートの時間がなく、
少しの時間ができたと思っても、
急な仕事が入ったため、
また呼び出されて仕事をして、
という生活だったわけです。

一度だけ、睡眠不足で無断で
遅刻をしてしまった時は本気で皆から
怒鳴られるかと思ったのですが、
そういう時に限って、

「良かった、連絡がつながらなくて
事故にでもあったのかと
心配したぞ。」と、なぜか優しい一面を
見せるという、返報性の原理を
巧みに使われ、その後の忠誠心を
高める工夫をしたりと、今考えると
何気に先輩社員達は
マインドコントロールにも
長けていた気がします。

それ以来、文句1つ言わずに
真面目に働き、深夜だろうと、
朝だろうと、感情を殺し、まさに
ロボットの様に働き続けました。

しかし、前述した通り、
自分の可能性を全否定された日が
きっかけで、すっかり
嫌気がさしてしまいました。

もう一度、自分の人生を
取り戻したいと思ったのです。

今の自分に何ができるかは
わからないけど、もう一度
自分自身を見直してみよう。

自分の理想の人生を見つけて、
自分で切り開いていこう!

もう、この会社で
働き続けるのは無理だ・・・

そう思った私は、勇気を出して
会社を辞めました・・・

この時、私はまったく
転職活動をせずに、
会社を辞めることを
宣言してしまいました。

(※まったく、オススメは
できません(苦笑)。)

冷静に考えれば、会社をやめれば
収入がまったくなくなるわけで、
よく、次のあても無いのに
勇気を持って決断できたな、
と今でも思います。

ただ、この時感じたのは、
まさに「自由」と「解放感」
でした。

体に巻きついていた
いろいろな鎖がはじけ飛んで、
ふわふわと宙に浮いている感覚すら
体験する不思議な感じでした。

睡眠不足で疲れて
イライラしていた生活からも
解放され、

「あと何時間後に起きなきゃ・・・」
みたいなものも無く、
ただひたすら自由に寝て良い状況が
待っていたのです。

その日の夜、ベッドにごろりと
寝転んで思いました。

「自由を感じるな~♪。いつか、
 こんなつかの間の自由ではなく、
 本当の自由を手に入れてやる!」

—–回想シーン終了——–

こうして、私のサラリーマン経験は
幕を閉じました。

今考えてみると、私は労働時間を
会社に提供していたわけです。

(※今のご時世だったら労働基準法に
違反しているかもしれないくらい、
過剰な労働時間を
提供していたわけです。)

今、冷静になって会社の利益率や
仕事の価値などを試算すると、
私が仕事で1時間働いて
生み出しているお金って、
数千円あったはずなのです。

(1時間で支払われたお金とか、
従業員とか、原価とかを考えて
割り出した金額。)

つまり、数千円分の働きを
しているにも関わらず、
時給換算をすると、当の本人は
ほとんどもらっていないわけです。
多くは会社に行くわけですね。

現在はおそらくもっとひどい状態に
なっていると思います。

平均的なサラリーマンが
産み出している価値の
どれくらいの対価が、
実際に払われているのでしょうか?

アルバイト、フリーターであれば
なおさらです。本来時給何千円もの
価値を労働で産み出している
にも関わらず、時給800円とか
時給1000円とかの対価しか
もらっていないわけです。

そして、その残りのお金は
会社に行くわけです。

マルクスは
「資本家は労働者から搾取している」
と言いました。

つまり、

・時間を提供する者
・人の時間を買う者

両者のいずれになるかで、
「自分の時間」は
大きく変わってきます。

はじめに言った通り、
人生で最も大事なのは
時間だと私は思っています。

もちろん、その価値は
人によって異なります。

だから時間を確保しつつ、
その価値を最大限努力する
必要があるのです。

そして、時間を大切にするために
重要なのは、

いかに他人の時間を買って、
自分の無駄な時間を
減らすかという事です。

サラリーマン時代の私を今、
客観的に分析すると、

「自分の時間を
 大バーゲンセールで売っていた」

という事です。

何やってたの、俺!
って言いたいです。

しかし、その経験があったからこそ、
時間の重みを身を持って
体験しました。

そのために2年以上の時間を
使う価値があったのかどうか?

それは、よく分かりません。

しかし、この記事を書く事ができて、
このメッセージを読んだ人の
人生が少しでも変わったなら、
「価値ある2年」
だったのかもしれません。

ちなみに、当時もらっていた
年収なんて、その数年後には
2、3ヶ月もあれば簡単に
生み出すことができてしまうなんて、
当時の私には知る由も
なかったようで・・・。

次回、いよいよお金を稼ぐ方法の
本質について語っていきます。

第4章 資本主義社会と情報発信ビジネスの世界